ピエール・エルメから ダロワイヨ、フォションを経て ラデュレに至るまで、 パリのマカロンは 名だたるパティスリーで欠かせない美味しさとなっている。 パリのマカロンはまさに首都の美食の象徴だが、その歴史は複数ある。その起源は中世に遡り、世界中にこの菓子の様々なバージョンが存在する。
マカロンには実に様々な形があり、時として、その種類を探すのに苦労するほどだ。では、最も明白な質問から始めよう:マカロンとは一体何なのか?簡単に言えば、メレンゲに似たアーモンドケーキで、モチモチとした食感と粒々の食感が特徴だ。中世に作られたと考えれば、フランスで大人気となったマカロンは、実はヨーロッパから来たものではない。最初に登場したのは中近東で、その後、レシピは旧大陸全域に広まり、数多くの地方版が生まれた。
マカロンはフランス人の味覚を征服する前に、まずイタリアに渡った。一般的には、 16世紀にこの珍味をフランスに輸入したのは、イタリア出身のカトリーヌ・ド・メディチ王妃だと考えられている。ルネッサンス期には、フランスのマカロンが登場した。アミアン・マカロン、ジョワイユーズ・マカロン、サンテミリオン・マカロン、ナンシー・マカロン......。
そして、19世紀に登場したマカロン・パリジャン、別名マカロン・ジェルベ。このビスキュイは、首都パリ独特のスタイルで、2つの殻の間にフィリングを挟んだ。フィリングにはバタークリーム、ジャム、コンポート、ガナッシュなどが使われた。ラデュレ、ダロワイヨ、 ルノートルによって広められたビスキュイは、後に ピエール・エルメによって復活し、さらなる美味しさを求めてレシピを完成させた。彼が「マカロンの父」と呼ばれる所以である!