ダリダを知らない人はいないだろう。どんなに若い人でも、彼女の伝説的な歌を一度は歌ったことがあるだろう。Laissez-moi danser」から「Mourir sur scène」まで、「Paroles, paroles」、 「Il venait d'avoir 18 ans」、「Salma ya Salama」も忘れてはならない。1961年にフランスに帰化したこのイタリア人歌手兼女優は、信じられないほど豊かなレパートリーを残した。
ダリダ(本名イオランダ・クリスティーナ・ジリオッティ)は1987年5月3日、54歳でこの世を去った。悲劇的な運命を背負ったこのアーティストは、次々と成功を収め、フランス・シャンソンの重要人物となった。彼女の強み?彼女の歌は、ポップス、レイ、ツイスト、そしてもちろんディスコまで、幅広いスタイルをカバーしていた。
今日でも、多くの人々がダリダのキャリアに魅了されている。彼女の芸術的な人生と個人的な悲劇は、彼女を正真正銘のアイコンにした。ダリダの足跡を追って パリに行きたいと願う多くのファンや好奇心旺盛な見物人が、毎日モンマルトル地区に集まってくる。
ダリダが最終的に定住を決めたのは、実は首都の18区だった。60年代初頭、彼女はオルシャン通り11ビスに私邸を購入した。ダリダが1962年から1987年に亡くなるまで暮らしたのは、モンマルトル通りの壮麗な邸宅だった。
多くの人が彼女の隠れ家と形容するこの家は、その壮大さが印象的だ。
彼女の旧居から100メートルほど離れたダリダ広場には、歌手に捧げる有名な胸像が設置されている。この胸像は彫刻家アスランによって制作され、歌手の没後10周年を記念して1997年に設置された。
ダリダの足跡をたどる巡礼の旅を終えるには、レピック通りを モンマルトル墓地まで歩くことをお勧めする。ダリダが埋葬されているのは、正面入り口からほど近い、ここ18区である。イコンの像と太陽の光が刻まれた墓には毎年多くの人が訪れ、墓石には常に花が飾られている。
散歩を楽しむには、地下鉄12号線ラマルク・コランクール駅から簡単に行けるダリダ広場から観光を始めることをお勧めします。ジラルドン通りを進むと、 ダリダの旧宅があるオシャンプ通りに簡単に到着します。モンマルトル墓地(地下鉄Place de Clichy駅)で巡礼を終え、ダリダの墓を見つけましょう。