リナス・モンレリ・オートドロームは、建築家レイモン・ジャミンによって1924年に建設されて以来、数々のレースが開催されてきたモーターレーシング・サーキットである。このサーキットは、発明家であり自動車産業の専門家であったアレクサンドル・ランブランの発案によるものである。20世紀初頭、自動車産業は活況を呈しており、リナス・モンレリ・オートドロームは、有名な ブルックランズ(イギリス)、インディアナポリス(アメリカ)、モンツァ(イタリア)、ミラマス(フランス)に続く5番目のオートドロームとして建設された。
ここでは毎年、クラシックカーやスポーツカーの祭典が開催され、ヴィンテージカー愛好家が集う。ラリー・ド・パリ(1950年から現代までの車両)、子供の頃に乗っていた車のパレードを見ることができるヤングタイマーズ・フェスティバル、ヴィンテージ・リヴァイヴァルとその戦前の車両......などである。
このサーキットは、直線(各長さ190メートル)と凹型のカーブからなるスピードリングを特徴としており、 数多くの世界記録更新を可能にした。1924年のオープンからわずか2カ月後には、すでに約100の記録が樹立されている(Motorlegends.comによる)。サーキットは12.5kmのコースに拡張され、もともとのスピードリングが延長された。これにより、リナス・モンレリ・オートドロームは1925年にフランス自動車クラブグランプリを開催できるようになった。資金不足のため1936年に放棄されたオートドロームは、軍事訓練キャンプとなり、第二次世界大戦中は遊牧民やジプシーの収容所となった。
1946年、自動車・オートバイ・サイクル技術連合(UTAC)がようやくこの場所と施設の管理を引き継ぎ、1947年、サーキットは改修されて再オープンした。1947年、サーキットは改修され、再開された。それ以来、このオートドロームでは、コレクターやモータースポーツ愛好家がサーキットでレースをするイベントが開催されるようになった。