ハリーズ・ニューヨーク・バーは、110年以上にわたってパリ2区のドヌー通りに活気をもたらしてきた。アメリカ発祥の伝説的で神話的な店であるハリーズ・バーは、文字通りニューヨークのマンハッタン7番街から解体され、パリのドーヌー通りに再建された。ヨーロッパで最初のカクテルバーのひとつとされるハリーズ・バーは、1911年11月26日に光の都にオープンした。
カウンターの向こうにいるのは、スコットランドの有名なバーテン、ハリー・マッケルホーンだ。彼は1924年にこの店を引き継ぎ、後に息子、そして孫へとバトンタッチした。現在もマッケローン・ファミリーがハリーズ・バーを切り盛りしている。フランツ・アーサーは、曽祖父ハリー(1890年)と同じく1988年6月16日生まれ。
その名声を証明するように、ハリーズ・バーは、このジャンルの真のクラシックとなったカクテルをいくつも生み出したことで有名だ。無類のブラッディ・メアリー、サイドカー、ブルー・ラグーン、ホワイト・レディなど、数え上げればきりがない。
しかし、ハリーズ・バーは数々の珍しい逸話でも知られている。例えば、パリで初めてコカ・コーラを客に提供したバーであることをご存知だろうか。1933年のシカゴ国際博覧会で、この有名な「ホットドッグ」専用の機械を購入したのだ。
ハリーズ・バーは 当時から評判が高く、常連客にはファッションデザイナーのココ・シャネル、作家の ジャン=ポール・サルトル、冒険家のアーネスト・ヘミングウェイといった有名人が名を連ねていた。実際、同店はヘミングウェイのお気に入りのスツールに、アメリカ人作家へのオマージュを込めた金属プレートを取り付けることにした。イタリア人ボクサーの プリモ・カルネラもハリーズ・バーを訪れ、1950年代にグローブを寄贈した。そのグローブは誇らしげにバーに飾られている。
1953年、ハリーズ・バーは、英国のエリザベス2世の戴冠式を生中継で見られるよう、店内にテレビを設置することにした。しかし、オーナーはすぐに、店内がまったく静まり返っていることに気づいた。さらに悪いことに、放送中は誰も酒を飲んでいなかった。そこで、テレビは反社会的なものだと考えたバーのオーナーは、選挙の時期まで二度とテレビをつけないことにした。
選挙といえば、ハリーズ・バーは1924年に模擬投票を導入したことでも有名だ。そのアイデアとは?アメリカの公式投票日の1ヶ月前から、パリを訪れたアメリカ人が投票できるようにしたのだ。暫定的な結果は、バーの鏡に定期的に表示された。ストロー投票 」として知られるこのイベントは、今年で100周年を迎える!ハリーズ・バーのストロー投票は、その信頼性の高さで有名です。1924年の開始以来、ハリーズ・バーでは2回しか間違っていません!