フランスのシャンソンは、その最も象徴的で控えめなアイコンの一人を失った。数年にわたり闘病生活を送っていたフランソワーズ・アルディが80歳で亡くなったのだ。これは6月11日(火)、彼女の息子トマ・デュトロンが自身のソーシャルネットワークに投稿したメッセージで発表された。
フランソワーズ・アルディは1960年代初頭、彼女の最初のヒット曲『Tous les garçons et les filles』(1962年)で音楽シーンの最前線に躍り出た。この象徴的な曲は瞬く間に大衆の心をつかみ、彼女のキャリアを華々しくスタートさせた。その後、 "Le Premier Bonheur du jour"(1963年)や"Mon amie la rose"(1965年)など、画期的な楽曲を発表。
長年にわたり、フランソワーズ・アルディは自分自身を改革し、芸術的に進化してきた。フォークからポップ・ロックまで、さまざまな音楽ジャンルを探求しながらも、唯一無二のスタイルを貫いてきた。彼女の最も記憶に残る曲は、"Comment te dire adieu"(1968年)と"Message personnel"(1973年)で、これらは真のクラシックとなった。これらの曲はフランス語圏の人々の耳を魅了しただけでなく、フランソワーズ・アルディが国際的に認知されるきっかけにもなった。
フランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy)は、50年以上にわたる28枚のアルバムという素晴らしい音楽キャリアに加え、ファッション業界にもその足跡を残している。
彼女のエレガントで時代を超越したスタイルは、多くのアーティストやデザイナーにインスピレーションを与え、シックで洗練されたパリジェンヌのイメージと結びついた正真正銘のファッションアイコンとなった。 控えめで内気な性格にもかかわらず、フランソワーズ・アルディは、数十年にわたる彼女の才能と感性のおかげで、世界中の何百万人ものファンの心を掴んできた。
また、ジャック・デュトロン抜きでフランソワーズ・アルディを語ることはできない。この歌手とともに、ジェーン・バーキンと セルジュ・ゲンスブールに並ぶ、1960年代から1970年代にかけてのフランスを代表するカップルを形成した。
フランソワーズ・アルディの死によって、フランスは永遠にフランス音楽の永遠のアイコンであり続ける偉大なアーティストを失った。