フランスを代表するテレビ司会者パトリス・ラフォンが死去

発行元 Laurent de Sortiraparis · 写真: Julie de Sortiraparis · 掲載日 2024年8月7日午後04時42
1990年代から2000年代にかけてフランスのテレビ界を牽引したパトリス・ラフォンが2024年8月7日、ヴォークリューズの自宅で死去した。デ・シフ・エ・デ・レトル』、『フォール・ボヤール』、『ピラミッド』などのヒット番組の司会を務め、何世代ものテレビ視聴者にその足跡を残した。ここでは、ゲーム番組の中心で活躍した彼の多作な人生を振り返ってみよう。

フランスのテレビ界を象徴する人物、パトリス・ラフォンが2024年8月7日(水)、ヴォークリューズオペードの自宅で84歳の生涯を閉じた。Des chiffres et des lettres』、『Fort Boyard』、『Pyramide』といったカルト的な番組のおかげで、何世代もの視聴者にその足跡を残したテレビ司会者。

1939年8月21日、マルセイユ生まれ1960年代に俳優としてのキャリアをスタート。ジャン=ピエール・モッキー監督の『Les vierges』やジャン・ジロー監督の『Le gendarme de Saint-Tropez』などの映画に出演。同時に、ミシェル・フーガンや ミシェル・サルドゥと親交を深め、彼らのために何曲か曲を書いた。

彼のテレビ界でのキャリアが本格的にスタートしたのは、ジャーナリストとしてヨーロッパ1に入社した後、テレビ界に転身してからである。1972年、『Des chiffres et des lettres』の司会者となり、17年間務めた。その後、1990年から1999年まで『Fort Boyard』、1990年から1997年まで『Pyramide』の司会を務め、テレビスターとしての地位を確立した。

司会者としての役割に加え、パトリス・ラフォンは劇場でも活躍し、2015年にはフェイドーの『自由交換の宿』、2016年にはウジェーヌ・ラビッシュの『Un chapeau de paille d'Italie』、最近では2023年にブルーノ・ドルアートとパトリック・アンゴナンの『Bas les masques』など、数多くの舞台に出演した。惜しまれるテレビと演劇の人。

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