パリの地下鉄:駅名の由来となったファビアン大佐とは?

発行元 Margot de Sortiraparis · 掲載日 2023年11月6日午前09時33
地下鉄2号線の駅のひとつとして知られるコロネル・ファビアン駅は、パリ10区と19区の境界、コロネル・ファビアン広場のすぐ下にある。多くの乗客が日常的にこの駅を利用しているが、この広場、そして駅に自分の名前をつけた人物の正体を知る人は少ない。

駅は1903年1月、北2号線のアンヴェル-バニョレ間が開通した際に開業した。当初、この駅は「 コンバット」と名付けられていたが、これはここからほど近い コンバット広場(ウィキペディアによる)で定期的に闘牛が行われていたためである。 1945年8月19日になって、同名のレジスタンス闘士にちなんで「ファビアン大佐」と改名された。

ファビアン大佐として知られるピエール・ジョルジュは1919年パリ生まれ。1936年、わずか17歳でスペイン内戦に参加した後、ドイツ占領下のフランスに戻った。彼はすぐにフランス共産党内で最も重要な任務を任されるようになり、その目的のひとつが1941年にジュネス・コミュニストの中に最初の武装グループを立ち上げることだった。数日前に共産主義過激派が処刑されたことへの報復として、ドイツ兵アルフォンス・モーザーを殺害した。

1944年8月、 ファビアン大佐として知られるようになったピエール・ジョルジュはパリの解放に参加し、フランス軍と連合軍の一員として占領軍との戦いを続けた。1944年12月、ファビアン大佐はミュルーズ近郊で調査中の地雷が爆発し、戦死した。レジスタンスの英雄とされ、娘のモニークは2009年に『Le Colonel Fabien était mon père』という遺書を書いた。1945年、広場と地下鉄駅に彼の名前が付けられた。

実用的な情報

所在地

2 Place du Colonel Fabien
75019 Paris 19

ルートプランナー

Comments
絞り込み検索
絞り込み検索
絞り込み検索
絞り込み検索